【天狗祭りの様子】

箕面の『天狗祭り』について
聖天宮西江寺(大阪府箕面市)       

子供達に親しまれている天狗祭りは、聖天宮西江寺の秋祭りで天狗が走り回るところから、誰言うとは無く天狗祭りと呼ばれるようになってきた。
『祭り』の由来や縁起を明記したものは現存しない。
聖天宮西江寺
の歴史は奈良時代(西暦六五八年)『役業者』の開祖による。
その頃から、現在のような祭りであったかどうかは定かではないが、明治末期に聖天宮西江寺と名を改めて以来は今のような形で行われてきたと思われる。
それ以前は『聖武天皇の勅願寺』であった頃より『摂津の国の神宮寺』と称され、各国に一ヶ寺、神仏を併合した形の『神宮寺』と称されるものがあった。
しかし、明治の廃仏毀釈により『寺』と『宮』を分離し難をのがれるのに、苦肉の策として『聖天さん』を名乗るところから『聖天宮』!
廃寺となっていた『西江庵』の名をとり『西江寺』!として、別々の寺社として過渡期をさけ、再び併合して現在の『聖天宮西江寺』となった。

それ故『宮寺』であり『宮さん』でもあり『寺』でもあるが、歴史的にみて本来的には『神宮寺』は『別当寺院』であり、そのなかに『宮』があると考えてよい。

『祭り』も当然、その縁起により発生したものと考えられ開基の『役行者』は『聖天さん』の信仰者で、箕面山を開くとき『聖天さん』の力にすがり神通力を得て開拓したと伝えられる。
歴史的、また、仏教的に考えれば,山岳仏教行者の『役行者』が箕面の地に入った時、滝を中心とする地元の民間信仰であった、陽崇拝を陽仏である『聖天さん』と結びつけ、箕面の『氏神』、『地神』としたことは疑う余地がない。
日本に於ける天狗伝説は『猿田彦』と『役行者』によるが山岳仏教に由来する地域の天狗は『役行者』による説が有力である。

なぜなら『役小角』とは額の真中の角があったと伝えられるところから『小角』と呼ばれ、一本歯の高下駄に尺八を持ち、それを鳴らしながら山岳を開いたと言われる。
後に神通力を得て空を飛ぶに至ったとされ、天狗の高い鼻は『役小角』の角を表し、尺八の音を表すのに
竹を割ったささらを鳴らし、頭髪を振り乱して走り廻る現在の天狗になったと考えられる。
加えるに、『聖天さん』は陰陽仏であり、その意味から、天狗の仏教の陽、『神楽』の神道と陰として、現在の天狗と『神楽』の『ヤラマイ踊り』に展開したものであろう。いわゆる『神仏の併合』の表現に他ならない。
それ故、天狗祭りと言われるこの『祭り』は、これらの由来が祭礼化したものであり天狗や『神楽』が子供たちを追いかけたり、叩いたりするのは、『邪気抜い』、悪魔抜いであり、古老たちの言い伝えにすれば、『天狗』にたたかれなければ元気な子供に育たないし、賢い子、良い子にならないと言われている。
また、娘たちは、天狗におしりをたたかれないと嫁に行けないし、子供も授からないとされ、怖がりながらも、親子共々天狗や『神楽』に異敬の念と親しみを持って接したと言われている。

現在では、ややもすれば、暴力的で乱暴な祭りと受け取る住民もあるようだが、本来は今も昔も変わらぬ、子を育てて子孫繁栄を願う親の素朴にして美しい願いから生まれたものであり、神道力をもった『役行者』と『聖天さん』に災いを拭ってもらい、健やかに育つ事を望む村人たちの願いと祈りが『祭り』となったものである。
もとより、世界中の『祭り』は、いずれの地に於いても、民衆の願いや祈りから発生したものであるが、今日に於いては半ば観光化された有名な『祭り』よりも、村々や各地に残る素朴な『祭り』こそ独特の風俗や文化、伝統と歴史、そしていつわらざる民衆の素朴な願望が継承されているように感じられる。
特に近代都市、大阪にほど近い箕面に、このような長い歴史と伝統を誇る『祭り』が今も存続、継承されることを喜び『ふるさとの祭り』として、親も子も共に無病息災の願いと祈りの機会としたいものである。
泥酔の天狗現る
観客を追い駆け廻し、竹のササラで頭を叩いて廻る
頭を叩かれると賢い良い子になる?と言われている。

しかし子供達は必死で逃げ回ります(>。<)

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